ドアを開けるストラップ



 どれくらい経ったのか、イマイチ実感できないくらい長かった。小競り合いだったような気もするし、大規模な戦いだった気もする。そんな戦いにも終止符は打たれ、勝利に酔うこと数日間。酔いから覚めた私に待っていたのは選択だった。
「マナ……本当に帰るのかい」
「そうね……ここにいるのもありかと思ったんだけどね」
 嘘のような話だ。あるいは夢のようだろうか。ただの若手OLだった私、松内真奈は、帰宅途中いわゆる異世界に迷いこんでしまった。しかも何故か色々な力を使えるようになっていたし、それゆえに美形な仲間と共に闘うことになっていた。だいたいこういう役割はドジな女子高生と相場は決まっていると思っていたのだけど。まぁ、本当にアットランダムで決まっているなら私みたいなのになることもあるのだろう。最初のほうこそ混乱の極みだったけど、これだけ経てば整理もつくというものだ。
「あっちにも友達、いるからさ。リルがこっちに来るわけにはいかないじゃない」
「それはそうだけどな、だからってほら、なぁ」
「そんな拗ねないでよ。あなたのおかげで私はここまで来れたんだから」
 対面に立つ彼は左手で前髪をくるくるいじっている。困った時にする彼の癖だ。その髪は私の友人たちが染めたどの金よりも鮮やかだった。碧い眼もそこらへんのカラコンとは違う本物の輝きがある。
「マナ……?」
「あぁ、ごめんごめん」
 私としたことが、ここで決意が鈍っていては話にならない。
「マナ、これを君にあげようと思う」
 そう言って彼は私に手を差し出した。手のひらの上にはあっちの世界でいうストラップらしきものがあった。革の輪の先端に細い紐でもう一つ輪がつけられている。ネックレスにしても、ブレスレットにしても両方の輪とも小さすぎる。指輪にしては大きすぎるし輪っが一つ余分。これはまさしくストラップだった。
「今日で君に出会ってからちょうど一年なんだ。本当の誕生日はわからないけど、記念にね。プレゼントだよ。時々でも、思い出してくれればと思ってさ」
「ありがとう」
「ずっと身に着けていられるような小物で、指輪以外で……って考えて、この形になったんだ。穴が開いている小物に紐を通すとと固定されるんだよ! 我ながらすごい発明だと思うんだ。君の短刀なんかにつけたら素敵かな、って」
 なんで指輪をくれないのだろう。少し拗ねたくもなったが、そこまでできないのが彼の誠実さの表れだということにすぐ気付いたため口には出さない。
「ストラップね。そうね、これならいつも持てるものね」
「ストラップ……?」
「ケータイなんかにつけるのよ。私のいた世界では最も身近な携帯物にね。……でも、この短刀は置いていくわ」
「え……?」
 この一年の戦いの終盤、私と共に闘った短刀だ。思い入れがないわけではない。が、現代日本で持って歩くのも躊躇われる。
「だから、この短刀はリルにあげるって言ってるのよ。私が形にして渡せるようなものも他にないわけだし」
「うん……大切にするよ」
 私が懐から差し出した短刀を柄のほうから掴み、見つめている。
「でもありがとう。このストラップ、向こう行ったらケータイに絶対つけることを約束するわ」
「そのケータイってのは大事なものなんだよね」
「そう。向こうの世の中では一二を争う重要な小物よ」
「それなら嬉しいよ。ありがとう」
 長話もここまでにしたほうがいいのだろう。他のみんなも来ている中私たちだけ長く話していても、みんな可愛そうだし。
「じゃあ、いくね。みんな、ありがとね!」
 いい加減見慣れた魔法的輝き、それに包まれた扉に私は手をかけた。
 ちょっとしたというには長かったけど、非日常的な冒険は終わったのだ。これからまた、残業に追われる日が来るのか……。結局、これは夢だったのだろうか……。そんなことを考えながら。


 眼をあけると、そこは路地だった。いくら薄汚く人気のない不気味な、と言いながらもある程度の清潔さを保っている。現代日本の、私の地元の、会社とアパートの間の路地だ。思い返すと、こちらの世界で最後に意識を失ったのはここだったかもしれない。
「さて、と」
 気合を入れ直すために声に出してみる。まずは、家に向かえばいいかな。
 私はその結論に従い歩き出した。しかし、暑い。夏もピークかもしれない。汗を服で拭う。と、私の服ももリルと大差ない異世界衣装である。それを着ているのに違和感はないものの、周りの目は多少気になった。
 幸い職質なんかを受けることなく自宅まで来ることに成功した。二階建てのボロいアパートの一階、一番奥の部屋が私の家だ。一年通っていなくても案外覚えているものだな、と思った。
 家の前に来て、ドアノブを回すも開かない。そう言えばそうだ、鍵を持っていない。正確には一年前に紛失した。ここは大家さんに当たってみるべきだろう。
「104の松内さん……? ああ、半年前に出て行ったじゃないか。今あそこには大学生が入っているよ」
 が、大家さんは非情にもクールだった。私がアパートを間違えたというわけでもないし、こちらでも一年が経っていたと認識するのが正しそうであった。それだけあれば、世の中多少は動くのだろう。浦島状態とはこういうことを言うのかな。そういえば昔読んだ漫画にこういうのあったなぁ。
 アパートを後にし、確認にとコンビニで雑誌を立ち読んでみても、たしかに日付は一年後だった。
「しかし、家がないんじゃどこ行けばいいの……。警察はめんどくさそうだし。会社に行ってみようかしら」
 内心の動揺を打ち消すために声に出して、私は会社へ向かった。
 駅前というには少し離れた距離にある雑居ビルの三階、そこが私の仕事場だった。
 知り合いに話しても名前を知っている人はいないような小さな会社だったし、正直薄給の部類だった。でも、みんないい人で、それなりにやってるいい会社だ。そう思っていた。少なくとも、美形たちにちやほやされる異世界と比べられる程度には心地よい空間だった。なのに、看板は変わっていた。
 秋天第一支部
 秋天、などという会社ではない。そもそも雰囲気が新興宗教の拠点そのものだった。ノックするのも躊躇われる。
 結局私は来た道を戻るハメになった。


 また、なんとなく路地に戻ってきていた。
 私の今の装備はファンタジカルな衣装にリルからもらったストラップ、それとリルの妹から貰ったお菓子が少しあるだけだ。
 暑さもあるし、これだけ歩けば疲れもする。腰を下ろし、ビスケットを頬張ってみた。甘い。ほんの数時間前まで話していたのに、リルたちが懐かしく感じられる。
 ポケットに突っ込んでいたストラップを見ると、リルが前髪をいじってはにかんでいる顔が浮かんでくる。ここからあの世界に飛ばされたのだ。また呼ばれたりしないかしら……不意に頭をよぎるそんな思考を全力で否定する。それじゃカッコ悪すぎる。
 しかし、ストラップだけあって携帯電話がないんじゃ現状打破にはならない。無一文だが、ビスケットだけじゃ何日もつかわからない。ダメ元で向こうで使えた魔法を唱えてみるも、やはりなんの変化もない。
「家もない……会社もない……ケータイもない……お金もない……次は、友達かな。リルにも行ったしね! 友達なら、待ってくれてるはず」
 真っ先に浮かんだ同僚の家へ向かうことにした。家が近いことで仲良くなっただけあって、ここからもそう遠くない。
吉岡
 暑いなか、遠くないといえどそれなりの距離を歩いて着いた同僚の家。そこの表札に書いてある文字を見て思わず膝をついてしまった。彼女の姓は吉見なのだ。惜しいけど別人ならそんなの関係ない。
 あるいは吉岡さんと結婚したという線も考えられるかもしれないけども、会社がなくなっていたことも考えると彼女も引っ越したのだろう。
 もう、歩ける距離で行ける居場所は思い浮かばなかった。
「友達が待ってる……か、大ウソツキだったのかな、私。向こうでちやほやされて、ちょっといい気になってたのかもしれない。そうね、実際一年もいなかったら代わりを見つけるものよね……」
 吉岡さん宅の前で膝をついて涙するのも迷惑だろうという判断のみで立ちあがり、私は歩きだした。行くあてなどない。実家は電車でなければかなり距離がある。飛ぶ魔法でも使えれば楽なのに、そんな愚痴をこぼしたところで使えるようにはならない。それでも、線路沿いを歩いていた。ずっと歩いて行けば着けるはずだ。さすがに、両親は見捨てていないと信じてる。……いや、案外私との連絡が途絶えたことに絶望して自殺したりしてるかな。そんなこともないか。死んだことにして葬式してたりして。……笑えないね。涙の別れをしてまで戻るべき世界だったのだろうか。今戻れたとして、リルたちにカッコがつかないのは間違いないのだけど。もしかして私、このままのたれ死ぬのかな。そういえば水飲んでないな。近くに公園あるかな。なんかホームレスみたい。いや、実際そうなのか。はぁ。リル……助けてよ。
 ストラップを取りだす。特別なんの特徴もない。革に紐をつけただけのもの。それが今では私の空白の一年を証明する唯一のものだ。逆に言えば、私の一年はこれだけだったということだろうか。家と、職と、このストラップが等価だというのだろうか。なんだかバカらしくもなってきた。ねぇ、リル……どうすればいいかな。
「ちょっと君……そんな格好で何してるの?」
 不意に声をかけられ、文字通り飛びあがってしまった。長いこと自分の世界に没頭してしまっていたらしい。
「変な格好……ですかね?」
 声をかけてきた青年は警察官の格好をしている。不審者だと思われたらしい。
 あちらでは標準的な格好であれ、たしかにこれは現代においてはファンタジカルすぎるのは間違いない。
「って、君もしかして松内さん?」
「……! 私がわかるの? 助けて!!」
 警察が嫌だとかそんなのはどうでもよくなった。私を知っている人がいたことが嬉しかった。私が覚えていなくても、私を知っている人ならこの際気にしない。
「ま、まず落ち着こう。どうしてここにいるの? え、家がない? じゃあまずちょっとついてきてよ……
…………
……………………
…………………………………………」


 実家の自室にある鏡台に映る自分を見て、頷く。リクルートスーツに身を固め、その他の身支度も完璧だ。これなら新卒に負けないと思えなくもない。
 あそこで昔のクラスメイトと出会ったのは幸運だった。彼は親切に対応してくれて、無事実家へ帰ることができた。会うなり、両親は泣いて出迎えてくれた。行方不明だというので、てっきり死んだものだと思っていたとのこと。あと六年経って帰ってこなかったら葬式もやる気でいたらしい。想像するとちょっと怖いけど、笑い話にできる程度の余裕は出てきた。
 この一年のことは、記憶がないと言っておいた。そのほうが都合がいいだろう。心配した両親は少しゆっくりしてもいいと言ってくれたが、嘘ついている手前ただ甘えるのも良心が傷つく。
 卒業後三年以内の市場というものもあるらしい。それなら私でも十分就職活動に参加できるだろう。だから、ここでの生活を一からやり直す。もし何かの手違いでリルがこっちに来たとして、失望されないくらいの私を作っておきたかった。
「リル、私時々思うの。たしかにあそこに残ってたほうが楽だったかもしれない、ってね」
 テーブルの上に置いてある、新しいケータイをポケットに突っ込む。
「むしろここでの地位をなくしやがって……なんて思ってない、とは言い切れないよ」
 ポケットの中のケータイにはあのストラップの感触がたしかにあった。
「でも、もう一度やり直してみるから。見ててね、リル」
 もう一度だけ鏡を見て頷いて、私は何の変哲もない、部屋のドアを開けた。





あとがき
 どうもこんにちは。文月水無です。
 半年以上ぶりになりますが、更新しました。
 多少波があるとはいえ、ここは小説サイトなのです。きっと。
 今回も三題噺です。
 「OL」「異世界」「ストラップ」
 久し振りにオリジナルで書いた気がします
 全体的に性急な感じがするのが反省点でしょうか。
 これから頑張りたいところです。
 拙い文書。面白くないストーリー。無駄に長め。
 これら三重苦に時間をとらせてしまったことを申し訳なく思います。
 が、いつか楽しい時間を与えられることを夢見つつ。

(2008-06-23) 文月水無

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